どこから来てどこに行くのか2005/10/03 20:46:33

ttp://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050930
ttp://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20051002

コメント含めてなかなか興味深かった。
とくに日本人の宗教観についてのコメント
ttp://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050930#c1128062867
は自分もなんとなく漠然と思っていたことを
適切な言葉で表現されている。

人間の精神は
シラノが月や太陽の住人に語らせているような
そんな絶対的なものではなくて、
脳みそのなかで、バチバチと流れる電流が作る
仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明
がぺかぺかと光っているにすぎなくて、
電流が止まった瞬間に飛び出た光子は
ひろく拡散してしまって見えなくなって
背景輻射にのまれて
見えなくなってしまうのではなかろうか。
と私は思っているのだけれども

とはいえ、輪廻という概念はとても魅力的なもので、
意識がいろんな相に変わりながら、
らせんの形に伸びていくすがたは
目がくらんで想像もできないくらい。
宮沢賢治だって輪廻は主要命題のひとつらしいし。
はじまりもなければ終わりもない世界観ってステキ。

はじまりがあっておわりがある宇宙をもって、
すべての物事が神の意思によって動くという
世界観な社会で因果律を基にした
scientificな手法が発達したというのは
すごくわかりやすい話なのだけれども、
改めて考えてみると、
もともと因果という言葉自体仏教用語なわけで
ではそこにどういった違いがあるのかというと
どうなんだろう。

ガニメデの優しい巨人のなかでホーガンは
「ビッグバンによって唐突に始まる宇宙観」
はまことに人間らしい攻撃的で活動的な発想であると
「静かに始まり静かに消えるエレガントな宇宙観」
を正しいと信じるガニメアンに語らせている。

実際のところ、宇宙が閉じているのか開いているのかは
まだわかってないようなのだけれども、
終末論的には閉じているほうが好ましいのかもね。

途中で何が言いたいのか自分でもわからなくなってきたけど、
個人的には、宇宙には終わりがあるけれども、
人類は「タウゼロ」の世界のように終末を飛び越えてほしい。
と思いました。おわり。

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_ 木走日記 - 2005/10/04 18:41:22

●コメント欄沸騰に喜びたじろぐ、へたれブログ主『信楽焼タヌキ』木走  みなさん、こんにちわ。前世が『信楽焼タヌキ』の木走です(爆笑  えーっと、靖国参拝違憲判断問題や朝日新聞NHK番組報道問題など、当ブログ好みの時事問題が報道されている中、宗教話にすっかりはまりこみ、螺旋を描いて『輪廻転生』ブラックホールに吸い込まれております当ブログなのであります。(汗  すこしここまでのあらすじをとりあえず整理しておきましょう。 9月30日のエントリー ●子供を亡くした母親達と不快なエセ宗教家達についての ...