モーツァルト2006/02/06 20:51:12

今月のN響はモーツァルトの交響曲とミサ曲。

じつはあまり好きでないことが判明した
ブルックナーやマーラーから続けて聞くと、
プログレッシブロックの後のテクノポップのような
スガスガしさを感じる。

それよりも、フィルハーモニー読んでびっくりした
2月Aプロ(わたくしはCプロの会員)のスクリャービンに 「色光ピアノ」登場!!
これはすごいということで、さっそくチケットをとってもらった。
これはものすごくたのしみだ。


お下がりのipodをもらった。
まだわっかがくるくる回るやつだ。
初めて使うipodは、なんだかすごいべんりな機械だよ!

いろいろ考えた2006/02/17 21:26:09

ながいながい一週間だった。

「祖母がそろそろヤバいからいっぺん帰ってこい」
と珍しく父から電話があったのが先週のこと。
モさんのところにいちどくり子を預けに行って
ひさしぶりに東名高速を下って実家に帰った。

ずいぶんと痴呆がすすんでいたことは聞いていたし
正月に帰ったときも認識してもらえなかったので、
まあそろそろだろうなと思っていたのは僕だけじゃなくて
家族全員が感じていたことなので、みんな淡々としたもんだ。

たしかに正月にみたときよりはやつれたような気はするけど
べつに病気なわけではないので、
想像してたよりはるかに普通だった。
一昨年の母方の祖父の時に比べると、元気じゃん。
といっても過言じゃないくらい。

祖母は昔から我の強いひとで、プライドもかなり高い人だった。
道楽のように文房具店を開いていて、
僕が欲しいといったものはなんでもくれたので
小学生のころは祖母の部屋にいりびたっていた。
ただ、家事はいっさいしない人だったし、
他人にもたいそう厳しいひとだったので
物事がわかるような歳になると、
なかなか付き合いづらい人だったけど
大学に通うために19で家を出た私には
あまり関わりのないことだった。

なぜか、あまり人間の死ということに深い感慨を持てない。
うちは長寿の家系らしくて、戦死した父方の祖父をのぞけば
前述した母方の祖父の時にはじめて親族の死を経験しただけなのだけど
人の死に触れてないだけじゃない!というわけでもなくて、
学生のころに一番の親友と呼びたい人が
ほんとに大好きだった友人が、自ら命を絶ったときも
まあ、彼が望んでやったことならしかたがないのかも。
と妙な納得のしかたをしていた。
ましてや、もう90まで生きた人なんだったら
もう十分でしょ。というのが正直な気持ちだ。

ただ、病院に見舞に行ったとき
今いる場所と、今の時間と、
そばに来ている家族の名前を聞いた後に
何度も何度も聞いた後に、
それをまったく覚えていられない自分に気がついて
激しく泣き叫ぶ姿をみてものすごくショックを受けた。

自分がなにも覚えていられないことに気付いてしまうことは
どれくらいの恐怖なのだろうか。
それに気付いた瞬間、自分の死が間近であることも思い出すのだろうか。
自分が惚けてしまったことを忘れてしまるくらい
痴呆の症状が進んでいた方がどれくらい幸せだろうか。

ただ、次の瞬間にはそれに気付いたことも忘れてしまっている。
でも、またしばらくすると改めてそのことに気が付いてしまう。
これはひどい。あまりにもひどすぎる。

日曜日の朝、それでは帰ろうかと思っていたときに
「今晩あたりが山かもしれません」と言われた。
ただ、山かもしれないけど
山じゃないかもしれないので、
とりあえずいったん帰ることにした。
祖母が知ってるはずの知らない僕をみて、
また苦しむきっかけになるのが怖かったのもある。

案の定、次の日の朝
会社の駐車場に付いたところで電話が鳴った
今さっき他界したという。
実のところ、ほっとした。

さらに次の日の通夜の日に、今度は中央高速を下って帰った。
故人を忍ぶために人が集まる気持ちはわからないでもないけど
抜け殻になった死体をそこまで奉る気持ちはまったくわからないので
延々とつづく退屈な儀式には苦痛しか感じないのだけれど
僕たちがまだネアンデルタールにすんでいた頃からの風習は
そう簡単には覆らないし、普段役立たずの長男としては
少しでも両親の負担を減らさないといけないと
必死に自分に言い聞かせながら耐えていた。

今まで自分が死ぬかもしれないことを
恐ろしいとか思ったことがないのだけど。
自分を自分足らしめているものが
失われていたことに突然気付くことは
これ以上ない恐怖であると思った。
それに気がついたときには
僕も宗教なんかにすがることになるのかもしれない。

そのほかに思ったこと
・モさんにもらったおふるのiPodがものすごく役に立った。
 この1週間でパンダと2000キロ近く走ったのだけど、
 5GB分の音楽のおかげで乗り切れた。
・実家近くのスーパーで買い物中にもっと教授を母親に買い与えてみた。
 DS本体はどこにも売ってなかったのでmy DSからどうぶつの森を抜いて
 貸してみたら親戚一同大好評だった。
 タッチジェネレーションってすげえ。岩田社長すげえと思った。
 このままDSを貸しっぱなしにしてもいいかともおもったのだけど、
 知らぬ間にブーケたんに引っ越しでもされた日には
 もう立ち直れないと思ってやめた。
・そろそろくり子に会いたい。

miserable future2006/02/20 20:11:58

TVを見ていたら、僕たちの悲惨な未来を伝えていた。
地球シミュレーターによると、
温暖化によってそれはそれはひどいことになるらしい。

そういえば、まだ小学生だったころに
にたような番組を見た記憶がある。
温暖化によって洪水がおこるんだけど、
ペールギュント組曲「朝」の曲にのって
じわじわと街が沈んでいく様はひどくトラウマになって
いまだにあの曲を聴くといやな気分になる。

小学生ということは、すくなくとも20年前以上も前なのか。
世界はそのころからあまりかわってないような気もする。

屋根に太陽電池をはりつけて、エコロジーを唱う広告をみるのだけど
あれは実際どれくらい「エコ」なのだろうか。
半導体をつかった製品を作るためには
大量かつ多種の毒ガスと、多大なエネルギー(=電力)が必要なことは
経験的に知っているのだけど、
ソーラーセルだって、きっと似たようなものだと思うのですよ。
しかも、レアメタルとかもいっぱいつかうんだよね。たぶん。

きっとえらいひとがきちんと計算しているのだろうとは思うのだけど、
なんとなく差し引きがマイナスになっているような気がしてならない。
ふつうに石油を燃やしてタービンをまわした方が
一番マシだった。というオチはやめてほしいものだ。

ようやく2006/02/24 12:43:41

くり子を引き取りにいけるよ。

Skryabin2006/02/25 22:45:26

N響定演の一回券を買って、初めてAプロに行ってみた。
お目当てはもちろん色光ピアノ

その「プロメテウス」だけど、どんな曲だったかよく覚えてない。
色光の演出に圧倒されて、あんまし聴いてなかったし。
まあ、かなりアバンギャルドな曲だったので、
ちゃんと聴いててもよくおぼえられなかったとは思うけど。

今回の演出はスコアに書き残されていた
作曲者本人の意向を最大限に再現したものらしい。
死ぬ間際までこんなものを真剣に考えていた
スクリャービンという人ってかなりぶっ飛んだ人なのだろう。

オケ背面の巨大なLEDの壁と
ロックコンサートのようなレーザー光が絶え間なく降り注ぎ
神の宇宙の青から
堕ちた人間の世界の赤に
そして再び天界へと昇華する黄色
最後には燃え上がる青い炎へと、
なんかいろいろはさみながら断片的に
ショウは進んでいくのだけど、
途中に
青+赤の紫とか
赤+黄色の橙とか
黄色+青の緑とかが
バチバチと混ざったり、
テクスチャもたてとかよことかアメーバ風不定形とか
まあそんな感じ。

象徴主義的なロジックぽいから
すべての色形は厳密になんらかの意味と
一対一の対応をしているのだろう。
解説つきのDVDとか見てみたい気がする。

まあ、なんというか素直に圧倒されました。
終演後、おもわず笑いがこみ上げてくるくらいの
バカバカしさなのだけど、
これを真剣に再現しようとする姿勢は
たまらなくかっこいいと思う。



ちなみにプロメテウスの前に演奏された交響曲一番。
1時間ちかくあるのだけど、
奇妙なリズムとメロディが小気味良く続いてて
乾いたロマン主義がちょうどよいにおいの
いい曲でしたよ。

追記
BSで放送されるらしいよ。